4 朱子学 〜「日本を取り戻す」との不思議な関係
朱子学 〜「日本を取り戻す」との不思議な関係
かなり乱暴に説明すると・・
宇宙は「理(原理)」と「気(運動)」の二つから成るとする「理気二元論」という思想が基本にある。そして人間の本性は「理(原理=純粋・善)」だけれど「気(運動=感情・欲望など)」も必ず生じるので、「理」を曇らせないためには儒学を学んで「理」を再確認し続けないといけない、という考え方である。
さて、この朱子学が中国で生まれた背景が重要だ。
当時、漢民族の国家・宋は、北部を女真族の金や、西夏、蒙古、等の他の民族に奪われていた「南宋」の時代。「中華思想」という他民族に対して強烈な優越感を持つ漢民族からすると、国力が弱った結果として周辺の異民族と和平を結ばなければやっていけない「屈辱の」時代と言える。朱子学は、そんな時代の漢民族の思想という側面もあるのだ。
朱子学には「大義名分論」というのがあるのだが、そこではそんな時代背景を反映してか、『理=正当・正統=漢民族、気=不当=周辺民族』という二元論にしたい思いが現れている。この中で、国の統治者を表す言葉として「王者」と「覇者」という言葉を使い分けるのだが、前者は「徳をもって国を治める者=正統/正当」後者は「武力でもって支配するだけの者=不当」という違いがある。これは、「所詮、北方民族なんか武力があるだけの覇者で、正統/正当な連中ではないのだ、本来王者たる資格は漢民族にしかないのだ」という、ある意味強がりの現れなのだ。
この辺なんかは、「あれ?なんだか今の日本の状況とちょっと似てる」と感じないだろうか。
日本では江戸時代に林羅山が、この理気二元論を「人の上下関係」に解釈し、幕府支配の思想的支柱に据える。それが江戸幕府の正学となり、それを元につくられたのが「武家諸法度」であり、さらには維新後の「教育勅語」である。
保守・右派の人たちの中に少なくない反中の人々には「江戸時代や戦前の国家の教育に戻せ」と主張する人も多いけれど、それは「中国産の思想由来の教育に戻せ」と主張しているとも言えることになる。そうした矛盾を孕んでしまう主張であることに対してどの程度自覚があるのだろうか。
また「失いかけたプライドを無理矢理にでも保つ、発揚する」という動機もあったと言える朱子学が、日本では武士道や戦前教育の母体となり、それが時を経て、今の政治家たちが「日本を取り戻す!」というスローガンのもとに、戦前の教育や価値観を持ち出してくるところなどは、実に興味深いリンクだと感じる。