お昼の東洋哲学

日本の伝統的価値観だとか殊更に言われるようになった昨今。ほんとうにそれは伝統的な価値観なのか基本に立ち返ってみよう。お昼に1つずつどうぞ。序をのぞき全10章。

9 夭逝した江戸の天才・富永仲基

夭逝した江戸の天才・富永仲基

 

 江戸時代の学者、富永仲基は、一般的な知名度は低いが、夭逝した天才として、東洋哲学畑では名高い。彼の思想をひと言で乱暴にまとめてしまうと「今の神道も仏教も儒教もぜーんぶインチキだ」ということになる。これを江戸時代に言ってのけたのである。

 それではいったい、どのような意味で彼は「インチキ」と言ったのだろうか。

 

 仲基には「加上」という独特の思想がある。

 ある思想が発展していく過程において、その時代時代の思想家たちは、前説の特徴的な点を選び出し、自説をその思想体系の始祖の諸説であるかのように装い、自分の説は正統的なものであるとして、前説の上に自己の説を「加え上ぼす」という作業をやる(源了圓著「徳川思想小史」)ということを富永仲基は指摘する。

 つまり、あらゆる思想・宗教の発展過程で登場する様々な思想家たちは、既存の言説を上回る何かを示そうとして、強い論点を打ち出す傾向があるという、思想家たちの「動機」に注目して、その思想家たちの心理的背景を踏まえてその教説を分析するという客観的な文献研究手法(島薗進著「宗教学の名著30」)を発明する。

 そして、経典や教諭書において相互の優位争いが大きな動機となっているので、経典や教諭書には特別なアイデンティティの主張や闘争心・競争心が行き渡っており、部外者はそれに共鳴できないと説く(島薗進著「宗教学の名著30」)

 そこで、どこにその文書の特殊なアイデンティティの主張や闘争心・競争心があるかを理解すれば、その主張に惑わされないですむとして、仲基は異なる教説が相互に張り合ったり、対立したりすること自体を分析の対象とするのだ。

 

さらに文化や時代の違いで考え方や言葉の意味も違うから、それを考慮しなければならない、と説く。

 

それらの説をふまえ、彼の同時代の神道儒教、仏教の教義は、全部だめ、現実にあわない、ただ「加上」しただけの教義だと言ってしまうのだ。

 

じゃあ彼はどうしろと説くか。

 

 これら伝統的思想・宗教のいずれもが最早現実に即していないと指摘し、その枠組みを超えた普遍的な「あたりまえの理」によって合意される「誠の道」を彼は展望する。

今の習慣に従い、今の掟を守り、今の人と交際し、いろいろな悪いことをせず、いろいろとよいことを実践するのを誠の道ともいい、それはまた、今の世の日本で実践されるべき道だと説く。

 最後のこの「誠の道」の思想が、31歳という若さで亡くなってしまったせいか、曖昧なままで終わっているのが残念なのだがなんとなくわからないでもないし、彼の説は今の時代にも通用するところが多いな、とあらためて思い出した。